2014 Topics

 平成26年度 秀光校内弁論大会 受賞者全文

最優秀賞 3年 稲井さん(塩竈第三小出身)
 

「偏見をもつこと」

 世界には、人種差別をする人や、宗教の違いから差別する人がいます。差別というと大きな問題のようにきこえますが、ちょっとしたことでも人は見た目などの浅はかな考えで何事も判断してしまいがちではないでしょうか。

 このような偏見はとても恐ろしいもので、大きくなると紛争にもつながります。実際に過去にはホロコーストというナチスによるユダヤ人の大量虐殺など、偏見が原因で起きた事件が少なくありません。
 1948年には、世界人権宣言が採択されましたが、世界にはまだまだ差別が存在します。

 では、なぜ私たち人間は偏見を持ってしまうのでしょうか。
 例えば、多くの人種差別の場合、人は外見や宗教の違いによって「この人は嫌いだ」と決めつけてしまいます。これでは、その人が本当にどんな人なのかということが分かりません。もしもその人が親切でとても良い人だったとしたら、差別をした人は良い人間関係を築くチャンスを逃していることになります。また、差別された側も傷付くことが多く両者ともに何も良いことがありません。

 さらに、自分の身近な例としても「虫が嫌い」という人も偏見を持っていると言えます。私も正直虫は嫌いです。しかし、虫は生態系を支える生物の一員であり、直接的でなくとも、私たちに恵みをもたらしています。

 このように、何事も外見で判断することにより、それの本来の良さが分からないままに終わってしまうことが偏見をもつことのデメリットであると私は考えます。

 私がこのような考えを持ったきっかけは、中学2年生のときにハワイへ研修へ行ったことです。その時に私はチャイナタウンを訪れました。そこは決して衛生的ではなく、独特なにおいを放っていて、「もう一度行って買い物をしたい」とは思えないような場所でした。売っているものも日本とは違い、鳥の足やブタの胃、そしてカエルなどが食用として売られていたのです。それを見た時、私は「こんな気持ち悪いものを食べる人がいるなんて信じられない。中国人は変わっているな」と強く思いました。

 その後学校に帰って自分が感じたことを先生に話した時、先生は「それは相手の文化を否定していることになる。世界には日本の文化以外にもたくさんの個性的な文化があるんだから、君たちはそれらの良さを受け入れないとグローバルシチズンにはなれないよ」とおっしゃいました。

 私はこの先生のお話を聞いて、偏見を持っていると視野が狭くなって考えが固定されてしまい、いつまでも新しいことに踏み出せないのだということに気付いたのです。

 偏見を持っている場合、きっとその理由の多くは外見などの外的要因からくるものであり、それが感情の「好き」「嫌い」を左右しているのだと思います。人はなにかきっかけが無いかぎり、「嫌いなものは嫌い」と決めつけ、それ以上のこと、つまりポジティブに考えるということをしなくなります。それによって人はその嫌いなものが果たしている役目や本当の良さを知ることなく時を過ごしてしまうことになるでしょう。しかしこれでは、ただの自己中心的で浅はかな考え方しかできなくなり、新しい発見にふれるチャンスが少ないまま人生が終わってしまうことになるのです。


 また、人種や文化を差別することについても「十人十色」という言葉があるように、人間はそれぞれ違っていて同じ人は誰もいません。そして、それぞれに独自の大切な文化や考え方があります。従って、人種によって差別することは決して誰にもできないはずなのです。さらに、自分の文化を絶対視していては、グローバル化していく社会で生きていくことは困難になるでしょう。


 もしかしたら偏見を持たない人はいないかもしれません。しかし、その偏見を減らすことは誰にでも出来ます。私は「嫌いなものは嫌い」と決めつけるのではなく、それは実際どんなもの、どんな人で、それはこういう良さがある、ということをよく知ることが大切だと考えます。それがグローバル化する社会で生きていく私たちにとって必要なことなのです。

 
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優秀賞 2年 菅原さん(長町南小出身)
 

「今を生きる」

 「生きろ」。これはある映画のセリフです。この言葉は、私の心に深く残りました。


 中学に入学してあっと言う間に1年が経ち2年生の夏を迎えました。私は、まだ、「将来はこんな風になりたい」、「こんな勉強がしたい」という夢や希望がはっきりと見えません。そのため、これまでの中学校生活を思い返してみると勉強も部活もしっかりとした信念や自信がもてず、行動力もなく、周りに流されてしまったり、何となく過ごしていた事が多かったように思います。そんな私を見て高校時代に私と同じくなぎなた部に入っていた大学生の姉が、勉強はもちろん部活ではちゃんと練習しているか、先生や先輩に迷惑をかけていないかいつも心配していました。


 それでも私は、今一体何をすればよいのか、そして、自分の将来や今をどんな風に生きたらよいのか、という事も分からなくなってしまいました。


 そんな迷ったり逃げてばかりの私に半年前の冬休み、姉が、「感動するから行っておいで」と1枚の映画のチケットをくれました。その映画は「永遠の0」という映画でした。その映画は、戦争で軍隊に入り、教官となった主人公が、多くの若い人達を軍人として育て、特攻隊として送り出し、最後には自分がゼロ戦に乗って敵機に向かいます。「命を大切に。生きろ」。生き残った教え子達は主人公が一番伝えたかった思いを必死で守り、残ってしまった主人公の家族を支えるのです。そして、現代になり平和に慣れてしまっている主人公の孫に主人公の人生を語り継いでいくのです。私はこんなにも必死で生きていた人達がいたのに、自分がなんとなく生きている事が、とても申し訳なく、そして悔しくてなりませんでした。
 もっと、将来やしっかりと生きる事と向き合わなければならないと感じました。

 ちょうど同じ頃「永遠の0」と同じように戦争が残した傷あとがいまだ実際にたくさんあることを知りました。それは私の祖母の戦争体験を聞いたことがきっかけでした。祖母の一家は幼い頃、登米市で暮らしていましたが戦争が始まり、祖母の父は、兵隊として召集され、宮城を離れました。しばらくしたある日、祖母の父の軍隊が仙台に1日だけ来るという知らせを受けて、祖母の母と仙台へ向かったそうです。仙台に到着した夜、仙台空襲にまきこまれました。「運が良かったのと母の機転で今生きている」と祖母は言います。当時防空ごうへ避難するように言われ、向かったものの煙と火が中に入ったら無事ではいられないと、ただ炎から逃げることを選んだそうです。祖母の母は逃げる途中、落ちていた布団を拾い、それに水を含ませて、祖母を背負い頭から布団をかぶって逃げたそうです。


 私は戦争について具体的に知りませんでしたが、今こうして平和に暮らしている事が不思議に思え、本当にあった事なのかと想像がつかないほど、衝撃を受けました。そして、祖母が生きるか死ぬかの体験をしていた事を知り、祖母の母が必死に命を守ってくれたおかげで今、私がいるという事、それは奇跡とも言えるという事に気づきました。

 今あるのは、自分の力だけではなく、必死に命をつないでくれた先祖と日本の平和を信じて、命をかけて守ってくれた、たくさんの人達のおかげなのです。今を生きている私達は、たとえ、今何をしたらよいのか分からなくても、今できることは何か、しっかり見て、考えて、一つ一つ精一杯努力をし、地に足をつけて行動することが大事なのです。一歩一歩足跡を残す事で後ろには、自然と道ができ、前を見て進む事ができると思います。もちろん、失敗なくまっすぐ進む事だけの人生ではないと思います。しかし、その時できる最大限の事を手を抜かず、気をゆるめず行い、悔いのない生き方をしたいです。そして、今生きる事、たくさんの周りの人に支えられている事に常に感謝していきたいです。

 
 
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