「今を生きる」
「生きろ」。これはある映画のセリフです。この言葉は、私の心に深く残りました。
中学に入学してあっと言う間に1年が経ち2年生の夏を迎えました。私は、まだ、「将来はこんな風になりたい」、「こんな勉強がしたい」という夢や希望がはっきりと見えません。そのため、これまでの中学校生活を思い返してみると勉強も部活もしっかりとした信念や自信がもてず、行動力もなく、周りに流されてしまったり、何となく過ごしていた事が多かったように思います。そんな私を見て高校時代に私と同じくなぎなた部に入っていた大学生の姉が、勉強はもちろん部活ではちゃんと練習しているか、先生や先輩に迷惑をかけていないかいつも心配していました。
それでも私は、今一体何をすればよいのか、そして、自分の将来や今をどんな風に生きたらよいのか、という事も分からなくなってしまいました。
そんな迷ったり逃げてばかりの私に半年前の冬休み、姉が、「感動するから行っておいで」と1枚の映画のチケットをくれました。その映画は「永遠の0」という映画でした。その映画は、戦争で軍隊に入り、教官となった主人公が、多くの若い人達を軍人として育て、特攻隊として送り出し、最後には自分がゼロ戦に乗って敵機に向かいます。「命を大切に。生きろ」。生き残った教え子達は主人公が一番伝えたかった思いを必死で守り、残ってしまった主人公の家族を支えるのです。そして、現代になり平和に慣れてしまっている主人公の孫に主人公の人生を語り継いでいくのです。私はこんなにも必死で生きていた人達がいたのに、自分がなんとなく生きている事が、とても申し訳なく、そして悔しくてなりませんでした。
もっと、将来やしっかりと生きる事と向き合わなければならないと感じました。
ちょうど同じ頃「永遠の0」と同じように戦争が残した傷あとがいまだ実際にたくさんあることを知りました。それは私の祖母の戦争体験を聞いたことがきっかけでした。祖母の一家は幼い頃、登米市で暮らしていましたが戦争が始まり、祖母の父は、兵隊として召集され、宮城を離れました。しばらくしたある日、祖母の父の軍隊が仙台に1日だけ来るという知らせを受けて、祖母の母と仙台へ向かったそうです。仙台に到着した夜、仙台空襲にまきこまれました。「運が良かったのと母の機転で今生きている」と祖母は言います。当時防空ごうへ避難するように言われ、向かったものの煙と火が中に入ったら無事ではいられないと、ただ炎から逃げることを選んだそうです。祖母の母は逃げる途中、落ちていた布団を拾い、それに水を含ませて、祖母を背負い頭から布団をかぶって逃げたそうです。
私は戦争について具体的に知りませんでしたが、今こうして平和に暮らしている事が不思議に思え、本当にあった事なのかと想像がつかないほど、衝撃を受けました。そして、祖母が生きるか死ぬかの体験をしていた事を知り、祖母の母が必死に命を守ってくれたおかげで今、私がいるという事、それは奇跡とも言えるという事に気づきました。
今あるのは、自分の力だけではなく、必死に命をつないでくれた先祖と日本の平和を信じて、命をかけて守ってくれた、たくさんの人達のおかげなのです。今を生きている私達は、たとえ、今何をしたらよいのか分からなくても、今できることは何か、しっかり見て、考えて、一つ一つ精一杯努力をし、地に足をつけて行動することが大事なのです。一歩一歩足跡を残す事で後ろには、自然と道ができ、前を見て進む事ができると思います。もちろん、失敗なくまっすぐ進む事だけの人生ではないと思います。しかし、その時できる最大限の事を手を抜かず、気をゆるめず行い、悔いのない生き方をしたいです。そして、今生きる事、たくさんの周りの人に支えられている事に常に感謝していきたいです。
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