病室には、不穏な空気がただよっていました。まるで時が止まったようでした。そして数時間後一人の大切な命が私たち家族、親戚の前から消えてしまいました。それと同時に私は改めて強い決意を抱きました。
私の伯母は、昨年の一月にがんにおかされ、三十九才という若さで天国へと旅立ちました。生きている時間を共に過ごした身近な存在であった伯母の死は、私達家族の心の中にぽっかりと穴を空けました。亡くなった時、私も含め、全員の目から涙がこぼれていました。私は、伯母の死によって、生命の尊さを知り、それと同時に一人の死が周りへ与える影響を知りました。若い伯母の死は、周りの人に深い悲しみを与え、それは、計り知れないものだったのです。
私は、今を生きています。家族や友人、先生など沢山の人と関わりを持って、私は生きています。そして私に限らず、「人」は誰もがそうだと言えるでしょうが、人との関わりをもっと大切に考えるべきなのではないでしょうか。私たちは人と関わりながら生きているからこそ、感情が生まれ、行動することができます。それによって学び、考えることが出来るのです。私は今、人と関わる毎日が楽しく、生きる喜びにつながっているのだと感じています。
しかし、この世の中には、このようなことを言う人もいます。
「生きていてもつまらない。自分が死んだって、誰も何とも思わない」
私は、これは大きな間違いだと思います。もっと生きることについてしっかりと考えて欲しいです。亡くなった人の中には、楽しいことをやっている時、また、この世に出てきて間もない時…などに、残念ながら命を落としてしまった人もいます。つまり、生きたくても生きられなかった人が沢山いるのです。その人が亡くなってしまった時、沢山の人が、悲しみの渦に巻き込まれ、大粒の涙をこぼしていたことでしょう。一人の命が消えることで、沢山の人が声を出して泣き、深く悲しみます。一人一人の命はそれだけかけがえのない、大切なものなのです。
私達はこのかけがえのない命と真剣に向き合い、大切にしていくべきではないでしょうか。亡くなってしまった人の分まで生きるつもりで、日々の時間つまり「今」を無駄にせず、後悔しないように精一杯生きる、それこそが私たちの使命ではないかと思うのです。天国の伯母は、今、ここで話している私に力を与えてくれています。温かく見守ってくれていると私はそう感じます。
命の大切さを知り、今までいだいていた将来の夢をますます叶えたくなりました。私の将来の夢は、小児科医になることです。私が小学六年生のときに、所属していた少年野球チームの仲間であり、常に喜びや悲しみを共に味わってきた親友が、I型糖尿病をわずらってしまったことがきっかけで、思うようになりました。その時友人は、体の面でも心の面でも、とても辛そうでした。その姿を見て、私は友人を助け、支えたいと強く思いました。そこから、苦しんでいる人のために、将来を捧げたいと思うようになったのです。
この友人と、伯母の死を目の当たりにしたことで、「命」について深く考えると同時に、私の決意は強いものとなりました。私は小児科医になり、子どもを体、心の面で元気にしてあげたいと思っています。
日本だけではなく、世界各国で、かけがえのない命が今も失われています。生きている私たちは、後悔しない「今」をしっかりと生きるという使命を果たすべきではないでしょうか。
みなさん、「生きる」ことに喜び、楽しみを感じていますか。感じているならば次第にこう思えてくるでしょう。また感じていない人はこう思えるような「今」を生きていきませんか。私は常にこう思っています。
「明日も生きたい!」…と…。 |